コラム「この先生にきいてみよう」
第1回 知識の習得は「なぜ」という疑問を持つところからはじまる
河又 邦彦(教育文化学部 准教授)
自分の頭で考えよう!というと、誰もが自分の頭で考えていると思っているので、ちょっと不思議に思うかもしれません。期末試験で問題を前にして「うーん」と考えたことがあるでしょう。でも、本当に考えていたのでしょうか。昨日の晩に一夜漬けで暗記した事柄を思い出そうとしていただけなのかもしれません。記憶の中に答えがあって、それを探し出す作業は考えることとは異なります。
考えるという作業はロッククライミングに似ています。壁がつるつるで何の手がかりも無ければ登ることはできませんが、手がかりがあれば頂上をめざして登っていくことができます。この手がかりが知識であり、知識をたどり、頂上を目指す作業が考えるということです。
プラナリア
大きいものは2mmくらいのサイズです
プラナリアがどのような生物か知っていますか。プラナリアはメスの下では不死身といわれており、2つに切断するとそれぞれが再生して、2匹のプラナリアになる再生力の強い生物です。では、プラナリアは単細胞生物でしょうか、それとも多細胞生物でしょうか。二分の一の確率なので考えずに適当に答える人がいます。記憶の中にプラナリアが単細胞か多細胞か答えがない場合、すぐに分からないとあきらめてしまう人がいます。あきらめずに少し論理的に考えてみましょう。実は細胞は2つに切られた後に、両方の断片が元と同じ細胞に戻ることはありません。細胞は分裂により2つに増えるのに、切断によって細胞が2つになることはないのです。下線の内容が理解できている場合、それを知識といいます。大学とは暗記ではない知識を習得し、その知識をもとにいろいろなことを考える訓練をする場なのです。下線のような知識を持っていれば、切断によって増えるプラナリアが単細胞生物ではないことがわかります。このような知識の習得は、「なぜ」という疑問を持つところから始まります。日頃から「なぜ」という疑問を発する習慣があると、大学の講義にすんなり馴染めるでしょう。