コラム「この先生にきいてみよう」
第10回 「百年戦争」と呼ばれてきた二つの“国”の戦争
佐藤 猛(教育文化学部 准教授)
ヨーロッパ中世が終わる頃、イングランド王とフランス王が長期の戦争を続けたことは、世界史Bの教科書にも書かれています。それは「百年戦争」とよばれ、1337~1453年、フランス西部に領地をもつイングランド王が、フランス王に対して行った戦争とあります。毛織物産業で栄えるフランドル地方をめぐる対立や、イングランド王がフランス王位の継承権を主張したことなどが原因とされます。戦局は数度の休戦を挟みながら、はじめはイングランドが優勢で、ジャンヌ=ダルクの参戦によって形勢逆転し、最後にフランスが勝利したと記されています。
この説明を覚えるとなると、やはり世界史は苦手だ、あるいは逆に得意という人もいるでしょう。いずれにせよ、中高までと大学では、歴史の授業の進め方はずいぶん違います。
そこでは、冒頭の説明を覚えるよりも、これをさまざまな角度から見直すことが出発点となります。見直しの結果、疑問が生じなければ良いのですが、たとえば休戦をはさんでいるので、“百年”戦争という呼び名(19世紀に「発明」された)を使うべきではないという意見が古くからあります。であれば、戦争の名称や約百年にわたるその経過について、より妥当な説明を考えていかねばなりません。さらに私がよく考えているのは、イングランド王がフランスに領地をもっていたことを重視すれば、そのフランス王との争いは別個の国家間の戦争ではなく、王と国内諸侯の戦争ともいえ、そもそもフランス王国を明確な国境をもった国家と見なすのは難しいでしょう。それならば、フランス王がイングランド王をふくめた大諸侯に行った統制や措置について、当時の記録を再検討し、フランスという“国”のあり方を明らかにする必要もあります。授業においては、このように当時残された記録や痕跡を受講生と一緒に読みながら、冒頭の説明やこれまでの学説と照らし合わせ、百年戦争期に関する新しい歴史像を作り出すことが目標となります。
世界史Bの教科書において、百年戦争の解説はゲルマン民族の移動やフランス革命と比べれば、“百年”といわれてきた割には少ないかもしれません。しかし、このような出来事について、自分の視点から重要ではないかと考え、そこから、歴史上の出来事や人物を深く探ってみるという姿勢が大学では何よりも重要です。