唯一の材料シミュレーション研究者
美しいデンドライト組織
雪の結晶というと六角形の美しい幾何学模様を思い浮かべると思います。周囲の環境と湿度によって形が変わるため、全く同じ形の結晶は存在しないといわれています。
棗准教授の研究対象である金属も、鉄板のようにひと固まりの物体に見えますが、実は結晶が固まってできています。雪や金属のような結晶をデンドライト組織と呼びます。金属は、4方向に木の枝のような形を作りながら結晶化していきます。棗准教授はこのメカニズムを理解するため、コンピュータシミュレーションの研究、また、それを用いた金属材料の鋳造プロセスの最適化のためのソフトウェア開発をしています。
身の回りでも見られる偏析
工業製品に広く用いられる鉄鋼材料は、連続鋳造というプロセスで、溶かした金属を鋳型に入れて冷やし固めることでつくられています。ミクロスケール(mm以下の世界)のデンドライト組織は顕微鏡で見ることができます。雪のデンドライトの規則的な形とは異なりますが、金属材料でも大きさも形も多様なデンドライトが形作られます。
デンドライト組織が形作られる凝固現象の際、濃度の偏りによるムラが生じ、これを偏析と呼びます。鉄鋼材料には鉄以外の他の元素も含まれているため、他の元素が偏析の原因となります。偏析がなぜできるのか、またできるだけ偏析のない材料をどのようにすれば製造できるのかを知ることが研究の目的です。
身近なところに、偏析のわかりやすい例があります。ジュースを凍らせると、先に凍った部分は味が薄く、残りの液体部分は濃くなります。さらに凍らせ続けると、最後に凍った部分は非常に味が濃いということが起こります。また、氷屋さんの氷はとても透明ですが、これは8~9割凍った段階で残りの水を捨てることで不純物や気泡がなくなり、氷の透明度が高くなっているそうです。濃度の偏りの特徴を、上手く利用しています。
材料シミュレーションで偏析を制御する
顕微鏡で見た鉄金属材料のデンドライトは、雪の結晶と違って4方向に枝分かれしています。鉄は、1,500℃以上の高熱で溶かす必要があるため、簡単に組織を見ることはできません。さらに、水のように透明ではないため、容易には見ることも触ることもできません。
顕微鏡で見た金属材料のデントライト組織
そこで、棗准教授が研究しているシミュレーションの出番です。鉄(Fe)と炭素(C)の合金のデンドライトを再現し、いろいろな数式やモデルを組んで、棗准教授が自らプログラミングしてソフトウェアを作成しています。条件を変えると、デンドライトの形状も変化していきます。
さらに3次元で見ると、固まっていく過程をより厳密にシミュレーションすることができます。完成した金属材料に偏析があると、製品の不良の原因になってしまいます。偏析は物質的に必ず起こり得ることであり、完全に防ぐことはできません。しかし、このムラを均一に散らしてやわらげることで、私達の身の回りの様々な製品に使用される「材料」となるのです。
この金属材料の組織と偏析を制御するために、棗准教授の材料シミュレーションの研究がスタートすることになったのです。現在、材料工学の分野でシミュレーション研究をしているのは、棗准教授ただひとりです。
デンドライトは、ひとつの幹から枝が成長して結晶ができ、さらにそれを包み込むように結晶化することもあります。また、樹状にならず縞状になる場合もあります。このような派生的な現象も、シミュレーションで制御できるようにしていきたいと、棗准教授は話します。
鋳造組織と自然対流を組み合わせた偏析の予測
緑色と赤色で、濃度の差が見られる
シミュレーションモデルに、「対流現象」を組み込んだシミュレーションもあります。お椀に入った温かい味噌汁をそっとしておくと、粒状のものがお椀の底から湧き上がり、また沈んでいくという様子が見られます。これが対流現象のわかりやすい事例です。
上の写真をご覧ください。緑色の部分は濃度に差が見られず偏析がありませんが、赤色の部分は濃度が高いため不純物が上部に浮いてしまい、強い偏析が見られます。この偏析予測の研究は、何が偏析の要因になっているのかを評価するシミュレーションのひとつになります。
データサイエンスと凝固シミュレーションの融合
近年、材料工学とデータサイエンスの融合が進んできています。MI(マテリアスズ?インフォマティクス)と呼ばれ、AIや機械学習などのデータサイエンスと材料工学を融合させて、新たなシミュレーション手法を探る研究です。
溶けた金属を鋳型に入れると、外気に熱が奪われて固まっていきます。これを熱伝達といいます。扇風機に当たると、体温が風によって奪われ、涼しく感じる現象と同じです。
熱伝達による熱量の数式は、「q=h×(T-T∞)」で表わされます。(q:熱量 h:熱伝達係数 T:物体の温度 T∞:外気の温度)
この場合、熱伝達係数「h」が、環境によって変化するパラメータで物体の温度がどのくらい外に伝えるか(またはその逆)を決める数値です。この数値によって、奪われる熱量が決まります。シミュレーションする場合は、決め手となるパラメータを的確に求めなれば、精度の高い結果は得られません。
例えば、最近の天気予報はよく当たるようになってきました。台風予報を例にすると、過去の観測データの蓄積とその活用によって、精度を上げてきました。膨大なデータ処理能力をもつスーパーコンピュータと、それを的確に活用する数値計算モデルの発展により、予報が正確になったと言えます。
自然現象のように不安定なパラメータを単純に取り込むだけでは、正確な予報にはなりません。大気の状態は常に変わり続けるため、時間が経つにつれ、シミュレーションと現実はかけ離れていくのです。一定時間ごとの観測データを用いてパラメータを見直して修正していくことで、シミュレーションを現実に近づけることができます。このような観測データを用いてシミュレーション内の不確実性を減少させる計算技法を「データ同化」といいます。
気象学においてはすでに確立されつつあるこの方法を、金属材料の世界でも取り入れようとする流れがあります。今までは不確実な数字を入れ、実験データと合うかという試行錯誤の比較をしてきたのですが、データ同化を用いることで、短時間でシミュレーションの精度を高めることができます。
シミュレーションのメリットは、ひとつの結晶を外的要因に干渉されることなく作れることです。合金は含まれている成分や量、濃度や冷却時間によっても大きさや形が変わります。また、高温下の作業となると目や手で確認したりもできないため、パラメータを正確に求めることが、効率の良いものづくりへの近道と言えそうです。
材料はすべてのものづくりの基盤
大学生の頃から材料の研究をしていた棗准教授。シミュレーションやプログラミングにも興味があり、大学4年生の時から「金属材料の組織」をテーマにシミュレーション研究に励みました。
「パソコンのイラストソフトを使って結晶の形をCGで描くことは想像できると思いますが、『この数式を解くとデンドライトの形ができる』という事が面白いと思いました。
材料理工学は他の工学分野と密接に関係しているだけでなく、それらの基盤となる学問であるといえます。例えば、ロボットが好きな学生にとって、材料工学の世界にはロボットに関係する研究が必ずあると思います。材料理工学は高校まではなかった分野だと思いますが、幅広く多岐にわたって学べる分野だと思います。どこの分野に進むか迷ったら、ぜひ材料理工学コースへ!きっと面白い研究ができると思いますよ」
物質の成り立ちや性質を知らずしては、何もつくることができません。それを知ってはじめて、望ましい性質を備え持った“もの”がつくられるのです。私達は知識と技術の結晶である“もの”を、何の気なしに目にしたり使用したりしています。身のまわりのすべてのものが、何らかの材料からできていることを考えると、材料理工学は「ものづくり」にとって不可欠な学問であるといえるのではないでしょうか。唯一の材料シミュレーション研究者である棗准教授のもとには、今日も大手材料メーカーからシミュレーションの依頼が舞い込みます。
研究室の学生の声
大学院理工学研究科 物質科学専攻 材料理工学コース 2年次
小川 丈太さん
金属を溶かして固めると、様々な模様が形成されます。これが金属の特性に関わってくるので、形成の過程を理解することが重要です。しかし実際の現象は高温下で起こるため、目で見ることができない点やコスト面を考慮すると、シミュレーションが有効手段であると考えます。現在はシミュレーションをプログラミングして評価する研究をしています。
元々計算が好きで、金属にも関心があったので、シミュレーションに対してとても興味が湧きました。私は大学院卒業後もこの研究室に残ります。もっともっと、シミュレーション開発や自分のスキルアップに取り組んでいきたいと考えたからです。
材料理工学コースでは、シミュレーション技術はもちろん、最終的にプログラミングスキルも習得できます。一石二鳥で幅広い研究に取り組むことができる材料理工学コースは、魅力満載だと思います。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです