近現代の中国文学から読み解く、日中関係と中国人の思い
文学に投影された、女性中国人作家 梅娘の葛藤
満州国から日本に来た梅娘が感じた思い
中国や台湾の可愛らしい民芸品やパンダグッズが並ぶ羽田准教授の研究室。中国文化のイメージをわかりやすく学生に伝えるためだと言います。中国の政治や経済発展についてはニュースでよく見聞きしますが、その長い歴史における文化の変遷についてはあまり触れる機会がありません。しかし、日本と中国は古くから文化的に深い関わりをもっており、多くの日本文化の起源は中国にあり、日本は古くから中国の文化を追いかけ、取り入れてきました。また近代以降は、日本がアジアでいち早く近代化を実現したことから、多大な文化的影響を中国に及ぼすことになります。
文学もそのひとつです。羽田准教授はとくに近代の中国文学を専門とし、特に満州国の女性中国人作家「梅娘(メイニャン:日本語読みはバイジョウ)」の文学を取り上げ、考察しています。満州国は、満州事変(1931年)のあと中国東北部を占領した日本が建国した傀儡国家でしたが、1945年、日本の第二次世界大戦敗戦により消滅しました。1938~41年、梅娘は編集者である夫の転勤がきっかけで日本に3年程滞在し、夫が編集する雑誌を中心に活躍しました。在日中は兵庫県西宮市に住み、関西の若手中国人作家集団と文学サロンを作り、読書会を開き交流を深めていたと言います。
昭和初期だった当時の日本は、学校教育が普及し、女性に対しても良妻賢母思想を基礎とした近代教育が施されていました。同じころ中国は、女子教育があまり進んでおらず、富裕層しか学校に行けなかった時代でした。とくに満州国などの東北地方は、中国全土から見ても近代化が遅れている地域でした。多くの日本人女性が学校教育を受け、近代的な教養を身に付けていることに、梅娘は驚いたと言います。このように日本の文化的な発達に魅了される一方で、日中戦争への抵抗を感じるような手記も残されていることから、梅娘の戸惑いと葛藤が読み取れます。
「梅娘の作品は小説が多く、当時の日本を背景とした中国人女性の物語も残されています。日本で暮らす主人公は、日本の文化的な生活に対して憧れを抱いていますが、日本人が時折見せる、民族差別やエゴイズムに対しては強い反感を抱いています。そしてそこに生じた葛藤に悩む姿が描かれています。梅娘は、物語の主人公に自身を重ねているように思います」
日中関係に翻弄された人生
羽田准教授は大学院生の頃、梅娘本人に当時の様子をインタビューしたそうです。直接本人に会ったことが、現在も梅娘の研究を続けている理由のひとつであると話します。
「私が実際に梅娘に会った時、彼女はもう90代でした。日本にいた時のことや戦前の活動についてお話をうかがったところ、日本の近代発展に驚き、日本人女性の教養の高さが印象的だったと話していました。戦後、中国が共産党政権になってからは、戦前日本と関わりを持った梅娘はかなり批判を受けました。1950~70年代くらいまでは作品が書けない時期も続きました」
1980年代以降、言論統制が一定程度緩和されると、梅娘は再び作家として活動を始め、エッセイのなかで日本での思い出に触れているとのこと。そこには日本に対する反感だけでなく、日本人との交流についても描かれているそうです。激動の時代を生きた女性ならではの視点が、梅娘文学の魅力のようです。
葛藤や鬱屈のなかで生まれる文学こそ面白い
7世紀初頭から始まった遣隋使や遣唐使は、日本人が先進文化や技術を求めて海を渡り、中国の文化を持ち帰ってくるという形でした。その頃の日本は中国にとってそれほど大きな存在ではなく、中国が日本の影響を受けるということはありませんでした。しかし近代になるとその立場は逆転し、近代化が進む日本を中国人留学生が訪れ、西洋文化を吸収して帰るという流れが生まれました。その時には、中国にとって日本はとても大きな存在に変わっています。その中で中国人たちはどのように感じ、どのような影響を受けて生きたのかということに興味が沸いたと、羽田准教授は言います。
「その時の中国人の気持ちは、すごく複雑だったと思います。世界の中心にいた自分たちが衰退していくことに対する危機感、焦燥感などが入り混じった感情だったでしょう。そうしたなかで抱いた葛藤や鬱屈があらわに表現された文学が、とても面白いのです。そして彼らによって日本はどのように捉えられてきたのか、ということに対しても興味を持ちました。もちろん当時の作品のなかには日本に対する反感や日本によって与えられた苦悩が描かれていることも多く、日本人としては読んでいて胸が苦しくなったりすることもあります。しかし、そういったものも含めて『日本』を理解しないと、本当に理解しているとは言えないと思います」
感受性が鋭い若いうちに、いろいろな文化に触れましょう
昨今の中国は経済的な発展が著しく、日本経済も中国経済の影響をダイレクトに受ける時代になってきています。秋田にいたとしても、中国の経済状況は無視できません。
「日本の様々な分野において、中国に通じた人材が求められています。歴史的な文化交流を研究することは、現在の中国と日本の関係を考える上での礎にもなると思います」
羽田准教授が高校生の頃、翻訳された中国の文学作品が出版され、また中国映画が上映されるようになりました。その時に触れた中国の作品のスケールや世界観、美的感覚や文学の捉え方の違いに惹かれ、大学進学後は中国語?中国文化を学んだそうです。
「その頃に感じたインパクトは、その後の私の人生を変える大きなものでした。もちろん中国そのものが魅力あるものだったということもありますが、私自身が若く感受性が鋭い時期だったということも大きかったと思います。しかし大人になるにつれ、こうした感受性は薄れがちです。若い時代は宝です。感受性が豊かな今のうちに色々なものに触れてみてください。そして様々な文化に触れることを通じて、この世界は決して自分たちの基準だけでは捉えきれるものではないことを体感してください」
これから更に進むであろうグローバル化に向け、中国や台湾にかかわらず国際的な視野を育んでほしいと、羽田准教授は若者たちを激励します。
「教育文化学部には今年から国際文化コースが設置され、日本やアジア(中国?台湾?朝鮮)はもちろん、英米、ロシア、ドイツ、フランスなど、幅広い文化の授業を開設しています。世界の文化を幅広く学びたい方は、ぜひ金鲨银鲨_森林舞会游戏-下载|官网の国際文化コースへ!お待ちしております」
学生の声
羽田准教授の研究室は全員が女子学生。わかりやすく楽しい講義はもちろん、学生の興味を引く映画作品やドキュメンタリーなど映像資料を用いての授業スタイルが人気です。これから羽田准教授の研究室に入る、3年次の2名の学生さんにお話を伺いました。
佐藤 里桜 さん
メディアで流れる中国の情報は政治的なことばかりで、文化面に触れることが今までありませんでした。羽田先生の授業で文学や映画作品を学ぶうちに、どんどん文化面に対する興味が湧いてきました。2年次までは日本文学を中心に勉強してきたのですが、中国文化や日本文学と中国文学の繋がりにも興味があったので、これからは文学や映画を中心に勉強していきたいと思っています。
羽田先生の授業は身振り手振りが多くてわかりやすく、授業の最後には映画の予告編や日本人アイドルが台湾?中国公演で中国語を話している映像資料を見せてもらったりします。自分では見ることのない資料を見ることができてとても楽しいですね。
大学の授業は卒業や進級のための必修科目もあり、課題は大変ですが、自分のやりたいことを勉強できるので毎日楽しいなと思います。自分の好きなことを突き詰めるには、大学は最適な場所だと思います。
國久 聡子 さん
東京では中国語の案内が流れていたり、街行く人たちの中にも中国人の観光客がたくさんいたため、中国語が話せたらいいなと思い、中国語の授業を選択しました。そこから先生の授業を受け、中国文化に興味を持つようになりました。
今はとくに1960年代から70年代に中国で起こった文化大革命に関心をもっています。この時期、中国では知識人達が弾圧され文化的にも大きなダメージを受けました。その後、ある程度表現の自由が認められるようになると、多くの作家が文学のなかで文化大革命を描くようになります。そうした文学作品について、羽田先生のゼミの中で深く考察していきたいと思っています。
授業ひとつとっても、何事にも意欲的に取り組んでいる人とそうでない人とでは、力の付き方が違うと思います。意欲を高くもつことで、自分の良さもわかってきます。皆さんも大学に入ったら授業だけでなく、アルバイトやサークル活動等に関しても、全て意欲的に頑張って欲しいと思います。
(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです