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金鲨银鲨_森林舞会游戏-下载|官网研究者 山口香苗先生

Lab Interview

社会教育と地域学習の変遷~日本と台湾の比較から考える地域社会の未来~

戦前から戦後にかけての社会教育の変遷

 社会教育と生涯学習。とくに社会教育という言葉は少し聞き慣れない言葉かもしれないと山口先生は言います。山口先生は、この社会教育と生涯学習について、日本と台湾の比較研究をしています。
 日本の社会教育は、戦後、1949年の社会教育法制定により、学校教育外での教育を指すように定義されました。これは、学齢期以外の成人や青少年の学習活動を主とする、幅広い教育を指します。
 社会教育の戦前からの変遷を見ると、明治維新からの日本は、学校教育を中心に「国民」の育成を進めてきましたが、社会教育は主に、学校教育が拾いきれない部分、たとえば貧困や学業中退者などへの教育的救済や、それによる社会改良の手段として位置付けられてきました。その後、戦後には郷土再建と民主国家の建設を目的に、住民が自らの生活の足元である地域の問題に向き合い、地域を作るための学びを公民館などで行うことが、社会教育として発展しました。
 山口先生によると、社会教育は日本で生まれた概念で、それが伝播した中国、台湾、韓国でも、かつてはこの言葉が使われていて、東アジア型の概念だといいます。

生涯学習と社会教育の関係とその曖昧さ

 1965年、国際連合教育科学文化機関ユネスコの国際成人教育部長をしていたポール?ラングランによって提唱された生涯教育(学習)という概念が日本にも導入されました。
 当初は学校教育だけでなく、生涯にわたって教育?学習ができる機会を保障する教育制度を構築し、自立的に人生を選択できるように支援することを目指しました。しかし、その後、日本では行政組織が社会教育課から生涯学習課へと名称が変わり、社会教育と生涯学習がほぼ同じ領域として扱われるようになりました。
 山口先生によると社会教育は自己教育や福祉、地域形成を含む広範で曖昧さが特徴ともいえる領域であり、日本に生涯学習概念が導入されてから、社会教育と生涯学習をそれぞれどうとらえるのか、混乱は現代に至るまでの40年ほど続いているそうです。

台湾研究における日本と台湾の教育の違いと影響

 山口先生は台湾の生涯学習を研究対象とし、日本とは異なる特徴を調査しています。台湾では1987年に38年間続いていた戒厳令が解除されました。そして1990年代、戒厳令の解除を経て市民の「自由」や「民主」への意識の高まりのもと、教育改革運動の一環として1998年に「社区大学(コミュニティカレッジ)」が誕生しました。これは、高等教育レベルの知識の一般市民への開放を通じた市民社会の形成を目指すものでした。また、大人の学びの場として「社区(コミュニティ)」に根ざし、民主的な価値観を育み、市民の手でこれからの民主社会を担っていくようにするという目的で設立されました。
 山口先生は、もともと中華圏に興味があり、大学生の頃、中国に留学したそうです。そして、当時の恩師から中国にも「社会教育?生涯学習」の研究があると聞き、中国研究が始まったといいます。その後、台湾に行く機会があり、日本の教育学の領域ではあまり戦後台湾の研究がなされていないということを知った山口先生は、台湾の研究を始めます。

 台湾の社区大学は、「学び」を通じて市民が自治的に社会形成をするための場として機能しています。山口先生は、「台湾の社区大学はボトムアップの社会形成を重視している」と指摘します。
 この背景には、台湾では日本の長い植民地統治(1895年~1945年)があり、また戒厳令など政治的に不自由な期間が長かったことが影響しているそうです。

台湾の社区大学:理念と現実のギャップ

 山口先生によると、台湾の社区大学は地域社会に根ざし、市民の民主的な意識を高め、社会課題の解決をはかるための学びの場となることを理想としてきたといいます。日本においても、地域住民が関心を持って集まる場所を提供し、そこでの学びを通じて社会に関わることが地域社会の課題解決に有効であることが示されています。  しかし、台湾では実際には、地域住民が求める学びの多くが、楽器やダンス、手芸といった趣味的な講座だったそうです。こうした現実に対して、社区大学の理念を掲げた研究者や行政からは批判の声もあったといいます。
 そこで山口先生は、どのような現状になっているかを自身で知るために台湾へ出向き、2年半にわたって社区大学に参加して調査を行いました。すると実際に批判の声もあるものの、それでも市民は趣味を通じて繋がりを持ち、自己を充実させ、生活を豊かにすることで自己を社会につなげていくという実態が確認されました。こうしたことから、山口先生はこれこそが「市民社会」であると考えたのです。地域や社会を目的におくかどうかは別として、「学び」の楽しさを享受できること、「学び」を通じて自分が変わっていくことの喜びや、社会の中に自分が位置づいていることを感じられることにこそ、民主的な社会の基盤があるとの考えです。
 そして「もし、地域課題の解決をしたいということであれば、大上段に「地域課題解決のための学び」というのを掲げるよりも、むしろ敷居を低くして趣味的な楽しいことを実践したり、「学びたい」と思ってしまう人間の思いや、自分が変わっていく喜びを感じられるといったことをベースにした方が良いのではないか、その方が民主的な社会の実現や、地域や社会の課題にも意識が向かいやすいのではないか」という内容を、博士論文にまとめました。

 社区大学は一時期100か所以上が設立されましたが、統廃合を経て現在は90か所程に落ち着いているといいます。主に夜間に開講され、仕事帰りの社会人も参加できるよう設計されています。参加者の多くは60代以上が中心で、近年は日中、学校の子どもたちと一緒に学習活動をすることもあります。設立から26年を迎えた現在も、市民の生活を豊かにし、社会的基盤を強化する場として機能していると山口先生は感じています。

日本の公民館の戦後から現在までの変遷

 山口先生によると、日本では戦後、文部官僚である寺中作雄氏と、寺中と共に働いた鈴木健次郎氏が公民館を地域社会の拠点として構想し、提唱したそうです。鈴木健次郎氏は秋田県秋田市の出身で、秋田県立秋田高等学校の校長を務めた経験もあります。鈴木氏は公民館や社会教育を「地下水のように目には見えないが地域の原動力となるもの」と考え、住民同士の関係性構築や住民による自治的な地域づくりを目指しました。1949年には社会教育法が制定され、公民館は法的枠組みに基づいて設置されるようになります。
 そして「地下水としての公民館」という鈴木氏の考え方が今再び注目されていると山口先生は言います。公民館設置の精神は、地域の基盤である住民の関係性を耕し、それを基礎にして住民が自発的に地域運営を進めることでしたが、経済発展とともに公民館はカルチャーセンター化が進むなど講座提供型が中心となり、地域社会との結びつきが薄れる傾向がありました。
 山口先生は、秋田県をはじめ、地方では公民館が住民自治の場として機能し続けているところもあると言います。最近では、学校と公民館が連携して地域の学習活動を進める「地域学校協働活動」の取り組みも活発化しています。

台湾と日本の比較から見る地域学習施設の意義

 台湾の社区大学も日本の公民館も、地域や社会の形成を支える重要な存在となっています。
 今後山口先生は、台湾の社区大学の事例を基に、日本の地域の学習拠点の現状と課題について研究する予定だそうです。山口先生がこれまで行ってきた台湾の社区大学や日本の公民館の事例の研究、そしてこれから取り組む研究は、秋田県のみならず日本全国の地域学習施設の新しい可能性を示していくことでしょう。

(取材:広報課)
※掲載内容は取材時点のものです

教育文化学部 学校教育課程
こども発達?特別支援講座
講師 山口 香苗 Kanae Yamaguchi
  • 埼玉大学 教育学部 学校教育教員養成課程 教育総合科学専攻 卒業
  • 東京大学大学院 教育学研究科 生涯学習基盤経営コース 博士課程 修了
  • 【取得学位】
    博士(教育学)
  • 【所属学会?委員会等】
    日本教育学会、日本社会教育学会、アジア教育学会等